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ミュージカル エリザベート観劇記

こんにちは。たもっちです。

すっかり荒れ地と化している私のブログですが、久しぶりに書きたいと思い、ブログテーマにはかんけいありませんが先日観劇をしたミュージカルエリザベートについて書いてみました。

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観劇日は2019年7月26日マチネ(昼の部)です。

本日の出演者はこちらです。

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作品紹介

※以下はストーリーや結末がありますので、観劇前にネタバレしたくない方はここまでにしましょう!

オーストリアの皇后エリザベートの生涯を題材にした、ウィーンで初演されたミュージカル。

脚本と作詞がミヒャエル・クンツェ、作曲をシルベスター・リーヴァイが手がけた作品です。

初演は1992年にウィーンで開始。日本初演は1996年宝塚歌劇団雪組です。

 

作品としては、エリザベート皇后の生涯とヨーロッパ世界の変化や、ハプスブルク家の崩壊の過程をエリザベートを愛してしまった「死」=トートという架空の存在が関わることで歴史が動いて行く様子を描いたこと作品です。

 

ウィーン版と宝塚版と東宝版

ウィーン版は主役であるエリザベートの生涯にトートがいろいろ働きかけて歴史を動かす裏側の存在のような扱いです。

それに対して、宝塚版は男役が主役という原則があるため、エリザベートが主役ではまずいことから「死」=トートを主役にした脚本が書き起こされ、トートが歌う「愛と死の輪舞」が用意されました。

そして、エリザベートという人間を愛してしまった「死」=黄泉の帝王トートとの愛が成就する様を描いた作品となっています。

 

この宝塚版はベルサイユのばら(ベルばら)以来の大ヒットとなり、各組で再演を繰り返される人気作品となっています。

 

そして、東宝版です。東宝版はウィーン版同様、エリザベートを主役にしつつ、宝塚版のために用意された「愛と死の輪舞」が使われるなどウィーン版とは違う演出となっています。

※その後、「愛と死の輪舞」がウィーン版に取り入れられたりしています

 

物語

このエリザベートという作品(特に日本版)はエリザベートと「死」のラブストーリーです。

エリザベート皇后暗殺の実行犯として、死後も煉獄の法廷で「なぜ殺した」と問われ続けるルイジ・ルキーニが、「死」がエリザベートを愛したからだ!という叫びから物語が始まります。

 

お転婆なシシィ(エリザベート)が皆の目を引こうと、木登りをしていた木から転落をして生死の境を彷徨います。黄泉の世界に導くためにシシィの前に現れたトートが「お前の命を奪う代わりに生きたお前に愛されたい」と「愛と死の輪舞」歌い、禁じられた愛のタブーに踏み出そうという場面は、まさにこのラブストーリーが動き出す瞬間です。

人に恋をしてしまったトートという存在は、表面的には死が生者に愛されたいというファンタジーですが、我々の現実世界にあり得る妻子ある人を愛したり、パートナーのいる人を好きになってしまったり、同性を好きになったり、なかなか叶わない、世間から理解されない自分の想いに置き換えられるように感じます。

 

そして、もう一人、シシィと出会いレールから外れてしまう人間が一人。

それがシシィの夫になるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフです。

彼は若くして皇帝になり真面目に皇帝の義務を果たそうとします。若いために考えの及ばないところは母であるゾフィ皇太后の助言をもらいながら。そして、結婚も皇太后が決めた通りになるはずが、お見合いに出向いた先で婚約するはずだった相手の妹であるシシィに求婚してしまうハプニングが起こります。

皇太后ゾフィとシシィの父親であるマックス公爵は反対をしますが、皇帝とシシィは結婚をしてしまいます。

そして、彼は結婚生活でも皇帝としての義務を果たすこと同様に真面目に夫の義務を果たそうとします。

 

この2人はシシィを中心に持てる力を精一杯使って歴史に干渉してシシィを愛を勝ち取ろうとするトートと、皇帝の力を抑制的に使いながら一人の人間として真面目にシシィを愛し続けるフランツとして描かれていきます。

 

シシィ自体はエリザベート皇后として宮廷に入ったその時から、古いしきたりや姑である皇太后ゾフィと対立していきます。

最初は幼い弱い存在だったのがだんだんと自我に目覚めていきます。

ここで歌うのが「私だけに」です。結婚をして家に入るという意識が薄れつつある現代に生きる私が見てもなかなか強気な歌詞です。

「義務を押し付けられたら出て行く」って!色々な場面で使ってみたい言葉ですね。

 

この曲は第1幕の最後にも歌詞を変えて歌われます。最初が自我に目覚めるところであり、最後は自我を確立する時とでも言いましょうか。

エリザベートの成長というか変貌を1つの曲で見事に表現をしています。

 

第2幕はフランツとエリザベートがハンガリー国王と王妃として戴冠するところから始まります。まさに人生の絶頂期。

しかし、これは帝国とハプスブルグ家の崩壊の始まりなのです。ここからトートによる歴史介入がエスカレートしていきます。

時代を変え、エリザベートの身の回りから大事なものを少しずつ奪い、生きる意味を失わせていく。

エリザベートを一途に愛していたはずのフランツの不貞行為。

束縛を嫌いながらもフランツを愛していたエリザベートは精神的ショックを受けます。

そこへトートは現れエリザベートを死へ誘うもののきっぱりと拒絶されてしまいます。

どんなに力を持っていようとも愛するものの心だけは自由にできない。

 

エリザベートは宮廷を飛び出し、ヨーロッパ中を旅をして過ごすようになります。

皇太后が死に、フランツが帰っておいでと言っても旅を続けるエリザベート。

 

その間に、トートはフランツとエリザベートの子である皇太子ルドルフに近づきます。

国とハプスブルグ家の行く末を案じる青年皇太子を唆し、帝国への反逆へと追い込みます。

ここで歌われるのが「闇が広がる」です。トートとルドルフの会話が歌詞になっているために単独で聞いてもピンと来ない歌ですが。死へと誘うトートと生へ踏みとどまろうとし、最後に死へと引きずりこまれる悲劇が美しいメロディで奏でられるこの作品屈指の人気場面であり、人気の曲です。

この場面は宝塚版と東宝版では振り付けが異なっているのですが、個人的にはより死と生のせめぎ合いを表現しているように感じる宝塚版が好きです。

 

ルドルフの死はエリザベートをさらに追い込みます。そこへトートが近づいてきます。

そして、エリザベートも「お願い。死なせて」と。

しかし、これはトートの愛を受け入れたのではなく、現実の苦しみからの逃避。

トートは自らを愛しているわけではないと逆に拒絶をします。

いやぁ、私がトートならそんな余裕はないかな。

 

さらに旅を続けることになったエリザベート。そんなエリザベートをフランツが追いかけてきます。エリザベートとフランツの最後の場面。「夜のボート」

エリザベートは「愛にも癒せないことがある」「奇跡を待ったけど起きなかった」と歌い。

フランツは「人生のゴールは寄り添いたい」とやり直そうと歌う。

そしてそれぞれが、「一度私の目で見てくれたらあなたの誤解も解けるだろう」と歌う。

この曲は第1幕でフランツからのプロポーズ後に歌われる「あなたが側にいれば」と歌詞違いになっています。この時も自由に生きて幸せになろうと歌うシシィにフランツが皇帝にも皇后にも自由はない。義務を果たさねばと二人がそれぞれの立場で歌うのですが、「いつか私の眼で見てくれたら、分かり合える日が来るだろう」と前向きな詩になっています。

しかし、この「夜のボート」はお互いが歩み寄れない悲しい答えを導きだす歌詞になっています。

そして、二人を海に浮かぶ2隻の船になぞらえて、「近づくけれども、すれ違うだけで、それぞれのゴールを目指す」と続け、フランツの「愛している」へのエリザベートの答えが「無理よ、私には」で終わります。

 

エリザベートにとって残された生きる意味は、フランツへの愛が蘇ることだったのでしょうか。距離を置き奇跡を待ったけど起きなかった。そして、「無理よ私には」とフランツとの関係をはっきりさせた時点でエリザベートを現世に繫ぎ止めるものがなくなったのでしょう。

そんなエリザベートをトートはルキーニに短剣を渡し、殺させます。

ウィーン版ではエリザベートが真の自由を手に入れた瞬間。宝塚版ではトートの愛が成就をしてエリザベートと結ばれた瞬間。東宝版ではその両方(宝塚版の影響が強いかな)として描かれます。

 

この場面のエリザベートは、今まで観た宝塚版、東宝版全てのエリザベートが一番晴れやかな表情をします。全てを振り払い自由になった!と感じさせる表情を。

 

主要キャストの感想

まず、全般的に言えるのがキャストが若いです。

以前感じた作品の重厚感が薄れてる感じは個人的には残念です。

でも、これは私自身が歳をとったせいかもしれません。20代の頃と40代の今では演じられている俳優さんより私が歳をとってしまっているという違いがあります。

 

トートの井上芳雄さん。死を司る黄泉の帝王というおどろおどろしい感じはありませんが、少し高めの声が黄泉の国に響き渡る嫉妬や愛情を感じさせていました。

 

愛希れいかさんのエリザベートは、第一幕の少女時代の歌に不安定さを感じたものの、第1幕のフィナレーを飾る「私だけに」では完全にエリザベート皇后として劇場を支配する圧倒的な存在感を感じました。

 

ルイジ・ルキーニを演じられた山崎育三郎さん。ミュージカル界のイケメンスターですが、私は劇場でお目にかかるのは初めてでした。風貌はチョットワイルドな感じですごく期待の配役でした。

個人的には芝居やダンスなどの身のこなしはすごく良かったのですが、この日は調子が悪かったのかな?少し声量に物足りなさを感じたというか。。。やっぱり歌メインの作品なのでバーンと行って欲しかった感じです。

 

フランツ・ヨーゼフの田代万里生さん。最近、観劇数が少ないせいもあり初めて観させていただきました。フランツという役自体が抑えめに演じるので派手なところはありませんが、安定した歌唱力で若々しいフランツから「夜のボート」の人生のゴールを意識する老齢の皇帝フランツ・ヨーゼフまできっちりと演じ分けられていました。

 

ゾフィーを演じられた香寿たつきさん。この方は元宝塚雪組で日本初演のエリザベートでルドルフを演じられている方です。

私は直接観ることができず、映像でしか観ていないのですが、歴代ルドルフでは1番好きです。「闇が広がる」の場面での苦悶の表情や歌、最高でした。

そして、ゾフィーですが、歴代のゾフィーは少ししゃしゃり出るような演技や歌い方をする方が多く、それもまたいいのですが、香寿ゾフィーはそういう雰囲気をあまり感じさせないのに皇帝をはじめとする宮廷と劇場を支配する大きさを感じました。

 

ルドルフは京本大我さん。京本政樹さんのお子さん。初めて観ていてジャニーズっぽいなぁと思ったら、、、やっぱりジャニーズでした。

2015年からルドルフを演じているということもあるのか、演技自体は安定しているしやはりルドルフはイケメンに限るなと思わせるルックスでなかなか良かったです。

ただ、歌はどうしてもTV的な感じでしょうか。「闇が広がる」で迷いの中から「我慢できない」と歌うところなどは、お腹の底からもっと来て欲しいなぁと思いました。

 

全体感想

この作品が何度も再演され、大きな観客動員を続けるのは何でだろうか?

結婚や宮廷生活の自分を抑えて生活をすることに息苦しさを感じる人が、エリザベートに自分を重ねて自由になりたいと思う気持ちを持って観るからか。

それとも、禁じられた愛に邁進するトートに共感をする人がいるのか?

大好きな作品ではありますが、この作品が好きというと心に大きな闇を抱えている自分を感じてしまいますね。

でも、何度も観たい、観るたびに味わいが変わる名作の一つだと思います。

 

帝国劇場で2019年8月26日まで上演中